高校1年生の夏に亡くした父の話
今週のお題「おとうさん」
父の日も終わってしまいましたが、こちらのお題。
タイトル通り、わたしが高校1年生になった夏に父は亡くなりました。
10年ほど前ですね。長かったような短かかったような。
これだけ時が経ってやっと当時のことを振り返ることもできるようになってきたので、ぽつぽつと父の話を書けたらなと思います。
父が亡くなった時、彼はまだ50代半ばで何か病気を患っていたわけでもありませんでした。
前日までいつも通り働いて、ご飯を食べて、テレビを見て、笑って、
そんな風に過ごしていました。
ただ一つ違ったことがあるとすれば、一人娘が帰って来る時間が遅かったくらいで
それ以外は大していつもと違わない日だったと思います。
少しチクッと注意をしただけでおやすみも言わず眠った娘に対して、父は何を思ったのでしょう。
それももう知る由もないんですが。
次の日、部活に行くために朝起きると母の泣き叫ぶ声が聞こえました。
声のする方へ向かうと倒れている父が。
呆然と立ち尽くすわたし。
母は救急車を呼びました。
わたしは倒れている父から目を逸らし座り込むしかできませんでした。
やがて救急車が来て、父は担架に乗せられます。
もうこの辺りの記憶は曖昧で、一緒に救急車に乗っていったことしか覚えていません。
父の死因は急性虚血性心疾患でした。
調べてみると、突然死の6割はこの病気なんだとか。
当時は訳がわからず、ただ父がいないという現実がそこにあるだけでした。
病院で冷たくなった父の手を握って大声で泣く母を見て、やっと父は亡くなったんだと理解することができました。
お通夜もお葬式も何事もなく執り行われ、月日はどんどん進んでいきますが、
わたしはまだ父がいないということを実感できずにいました。
1ヶ月ほど経った後、急にその実感が湧いて来ます。
父が帰ってくるはずの時間にドアが開かないこと、
日曜日の午後にコーヒーの匂いがしないこと、
寝室に上がっていく階段の音がしないこと、
生活に溢れていた些細な音、匂いがなくなったことに気づいて初めて「もういないんだ」と理解することができました。
そして、誰かを亡くすことはもうその人を思い出すことしかできないことなんだなとぼんやり思いました。
その人との思い出はこれ以上増えない。
だから、父との思い出や些細な記憶を忘れてしまうことが本当に本当に怖かった。
忘れないように、と思ってはいても日に日に薄れていってしまうのが記憶というものです。
父がいないと実感するたびに涙が出る自分も嫌だったし、母と二人の生活に徐々に慣れてきている自分も本当はすごく嫌でした。
そしてもう一つ、父が亡くなる前日の後悔がずっと後をついてきました。
なんで遅く帰ってしまったんだろう、なんで注意されて不貞腐れてしまったんだろう、
なんでおやすみの一言も言えなかったんだろうと。
わたしがいい子なら父は今もここにいてくれたんじゃないかとか、そんなことを思って自己嫌悪することも少なくありませんでした。
そんなわたしが今こうして強く生きていれるのは、友人や先生や変わらず側にいてくれた人々のおかげですし、一番は母のおかげだと思っています。
父のお通夜の後、親戚の前で生まれて初めて悪態をついてしまったわたしに対して、怒るでもなく悲しむでもなく、ただ「これから二人で頑張ろう」と言ってくれた言葉通り、
母はどんな時もずっとまっすぐにそこにいてくれました。
強すぎる母が時々嫌にもなるけれど、最近ではわたしもこんな母親になりたいと思います。
今父に伝えたいのは、「いい奥さん捕まえたなこの野郎」ですかね。笑
たとえ記憶が薄れていっても、父との全てが今のわたしを作っていると思えば大丈夫になれました。
いつか遠い未来でもう一度父に会った時、頑張ったなって言ってもらえるように生き抜いてやります!
以上、しんみり真面目モードでお届けいたしました。
ここまで詳細に思い出すと今でも鼻の奥がツンとするし、なんならティッシュ2枚分泣いてしまいましたね!
泣き虫はずっと変わらない!けどこれがわたしだからいいんだ!